〇沼津焼却場問題(静岡県)

◇2021年5月26日
 1.沼津焼却場問題とは
  自治体が住民と交わした約束を、その後、一方的に反故にするようなことがあってよいはずはありません。
  ところが、静岡県沼津市で、そのような事態が起こっています。
  事態を伝える新聞記事を次に掲げます。
  沼津朝日新聞2014.1.28
  沼津市は、日本で初めての自治体による分別収集→資源化が誕生した都市として有名です。1975年から始まった分別→資源化を図る「沼津方式」は「混ぜればごみ、
 分ければ資源」というスローガンとともに全国的に有名になりました。
  沼津方式が生まれた背景には、焼却場や処分場の建設に対する強い反対運動がありました。強い反対運動にぶつかりごみ処理の危機に直面したからこそ、画期的な
 沼津方式が生まれたのでした。
  焼却場の建設については、焼却場に隣接し、大気汚染を心配する清水町外原区と沼津市との間で議論を重ねた後、昭和49年(1974年)に覚書が交わされ、ようやく
 建設されることとなりました。
  覚書を次に掲げます。
  昭和49年覚書
  覚書の内容は、主として次の三点です。
  ①将来一切増設、新設をしない
  ②跡地は公園化する
  ③将来市長、町長等の変動があっても効力があると認める
  ところが、2011年8月、栗原裕康沼津市長(当時)は、覚書を守れない、新たな技術を導入して新施設を設置したい、と方針転換をしたのです。
  このような行政による覚書の一方的破棄がまかり通ったら、行政への信頼は失墜します。一切の覚書や契約が信頼されなくなり、自治体行政が成り立たなくなるの
 は必至です。
  この一方的な行政判断に対し、2016年8月、鈴木隆雄外原区長(当時)は、沼津朝日新聞で3回にわたって次のように批判されています。
  沼津朝日新聞2016.8.3,4,5
  昭和49年覚書を締結されたのは、当時の井手敏彦沼津市長でした。「沼津方式」の生みの親として、全国的にも知られた方です。三島沼津のコンビナート反対の
 住民運動の中から市長になられた方で、政治家というより、一定の世界観と歴史観を備え、思索する哲人でした。私のごみ問題の先生でもありました。
  新施設はいまだに着工されていません。外原区住民と井手敏彦さんのご苦労、及び井手さんの御遺志に報いるべく、ぜひとも中止に追い込みたいものです。

◇2021年7月23日
 1.沼津朝日に掲載された住民の投稿記事二本
  沼津には、「沼津朝日」という優れた地域新聞があります。5月26日HPにも2016年の記事を紹介しましたが、その存在は井手敏彦氏とのお付き合いの中で知って
 いました。
  この度、沼津焼却場問題に関する地元住民の投稿記事二本が沼津朝日に掲載されましたので、次に掲げます。
  沼津朝日新聞2021.7.18,21
  この記事が作成される過程、その内容、及び、記事を地元の全戸に配布されたことなどをつうじて、沼津地域の住民運動の質の高さを実感し、感銘を受けました。